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日本の神々-古事記編-天皇の系譜-三代から六代

ここでは三代安寧天皇から六代考安天皇までの記述をまとめる

以下簡略化した家系図のオレンジ、黄色、水色で囲った部分を、それぞれ第一第二第三グループとして、分けて書いているので参考にしてほしい

三代から六代 家系図

※括弧付きの数字は記事番号で、この記事外の時系列(原典表記順)で、その神についての説明があった場合に、説明の前に付けてある

時系列で追っていきたい場合はその部分は読み飛ばすことを推奨する

表記は基本的に当該、配偶者、配偶者の近縁、当該の子の順

第一グループ(オレンジ)

・師木津日子玉手見命(シキツヒコタマテミノミコト)

  綏靖天皇(スイゼイテンノウ)河俣比売(カワマタビメ)の子

  従姉である阿久斗比売(アクトヒメ)を妻にして、常根津日子伊呂泥命(トコネツヒコイロネノミコト)大倭日子鉏友命〔オオヤマトヒコスキトモノミコト 懿徳天皇〕師木津日子命(シキツヒコノミコト)の三柱を生んだ

  別名に安寧天皇(アンネイテンノウ)がある

  片塩の浮穴宮(カタシオノウキアナノミヤ 奈良県大和高田市三倉堂付近)で、天下を治めた

  安寧天皇の寿命は四十九歳で、御陵は畝火山の南の窪地(奈良県橿原市吉田町西山付近の山形陵)にある

・阿久斗比売(アクトヒメ)

   河俣比売(カワマタビメ)の兄である県主波延〔アガタヌシのハエ アガタヌシは姓(カバネ 一種の称号)〕の娘

  従弟である師木津日子玉手見命(シキツヒコタマテミノミコト 安寧天皇)を夫にして、常根津日子伊呂泥命(トコネツヒコイロネノミコト)大倭日子鉏友命〔オオヤマトヒコスキトモノミコト 懿徳天皇〕師木津日子命(シキツヒコノミコト)の三柱を生んだ

・県主波延(アガタヌシのハエ)

  河俣比売(カワマタビメ)の兄で阿久斗比売(アクトヒメ)の父

  また安寧天皇(アンネイテンノウ)の義父

  アガタヌシは姓(カバネ 一種の称号)

・常根津日子伊呂泥命(トコネツヒコイロネノミコト)

  師木津日子玉手見命(シキツヒコタマテミノミコト 安寧天皇)阿久斗比売(アクトヒメ)の一番目の子で、懿徳天皇(イトクテンノウ)の兄

・大倭日子鉏友命(オオヤマトヒコスキトモノミコト)

   師木津日子玉手見命(シキツヒコタマテミノミコト 安寧天皇)阿久斗比売(アクトヒメ)の二番目の子

  賦登麻和訶比売命(フトマワカヒメノミコト)を妻にして、御真津日子訶恵志泥命(ミマツヒコカエシネノミコト)多芸志日古命(タギシヒコノミコト)を生んだ

  別名に懿徳天皇(イトクテンノウ)がある

  軽の境岡宮(カルノサカイオカノミヤ 奈良県橿原市大軽町見瀬付近)で、天下を治めた

  懿徳天皇の寿命は四十五歳で、御陵は畝火山の真名子谷(マナコダニ)のほとり(奈良県橿原市西池尻町丸山付近の山形陵)にある

・賦登麻和訶比売命(フトマワカヒメノミコト)

  師木県主〔シキノアガタヌシ アガタヌシは姓(カバネ 一種の称号)〕の祖〔※河俣比売(カワマタビメ)

  大倭日子鉏友命(オオヤマトヒコスキトモノミコト 懿徳天皇)を夫にして、御真津日子訶恵志泥命(ミマツヒコカエシネノミコト)多芸志日古命(タギシヒコノミコト)を生んだ

  別名に飯日比売命(イイヒヒメノミコト)がある

・師木津日子命(シキツヒコノミコト)

  師木津日子玉手見命(シキツヒコタマテミノミコト 安寧天皇)阿久斗比売(アクトヒメ)の三番目の子で、懿徳天皇(イトクテンノウ)の弟

  子に和知都美命(ワチツミノミコト)名前未詳の二柱がいる

第二グループ(黄色)

・御真津日子訶恵志泥命(ミマツヒコカエシネノミコト)

  大倭日子鉏友命(オオヤマトヒコスキトモノミコト 懿徳天皇)賦登麻和訶比売命(フトマワカヒメノミコト)の一番目の子

  余曾多本毘売命(ヨソタホビメノミコト)を妻にして、天押帯日子命(アメオシタラシヒコノミコト)大倭帯日子国押人命(オオヤマトタラシヒコクニオシヒトノミコト)を生んだ

  別名に孝昭天皇(コウショウテンノウ)がある

  葛城の掖上宮(ワキガミノミヤ 奈良県御所市池ノ内付近)にて、天下を治めた

  孝昭天皇の寿命は九十三歳で、御陵は掖上の博多山の辺(奈良県御所市三室博多山の山形陵)にある

・余曾多本毘売命(ヨソタホビメノミコト)

  尾張連〔オワリノムラジ ムラジは姓(カバネ 一種の称号)〕の祖である奥津余曾の妹

  御真津日子訶恵志泥命(ミマツヒコカエシネノミコト 孝昭天皇)を夫にして、天押帯日子命(アメオシタラシヒコノミコト)大倭帯日子国押人命(オオヤマトタラシヒコクニオシヒトノミコト)を生んだ

・奥津余曾(オキツヨソ)

  尾張連〔オワリノムラジ ムラジは姓(カバネ 一種の称号)〕の祖

  義弟に御真津日子訶恵志泥命(ミマツヒコカエシネノミコト 孝昭天皇)がいる

・多芸志日古命(タギシヒコノミコト)

  大倭日子鉏友命(オオヤマトヒコスキトモノミコト 懿徳天皇)賦登麻和訶比売命(フトマワカヒメノミコト)の二番目の子で、孝昭天皇(コウショウテンノウ)の弟

  血沼別〔チヌノワケ ワケは姓(カバネ 一種の称号)〕・多遅麻の竹別(タジマノタケノワケ)・葦井稲置(アシイノイナキ イナキは姓)の祖

・―〈―〔※孫(ウミノコ)〕〉

  師木津日子命(シキツヒコノミコト)の子で、懿徳天皇の甥もしくは姪

  伊賀の須知稲置(イガノスチノイナキ イナキは姓(カバネ 一種の称号)〕、那婆理稲置(ナバリノイナキ)、三野稲置(ミノノイナキ)の祖

  名が書かれる場所に孫とだけ書いてあり、命や比売などがついていないため、名は最初から未詳であったとする

・和知都美命(ワチツミノミコト)

  師木津日子命(シキツヒコノミコト)の子で、懿徳天皇の甥もしくは姪

  淡路の御井宮(アワジノミイノミヤ)に住んだ

  娘に蠅伊呂泥(ハエイロネ)蠅伊呂抒(ハエイロド)がおり、二人の娘の婚姻により孝霊天皇(コウレイテンノウ)の義父となる

第三グループ(水色)

・天押帯日子命(アメオシタラシヒコノミコト)

  御真津日子訶恵志泥命(ミマツヒコカエシネノミコト 孝昭天皇)余曾多本毘売命(ヨソタホビメノミコト)の一番目の子で、孝安天皇(コウアンテンノウ)の兄

  春日臣〔カスガノオミ オミは姓(カバネ 一種の称号)〕・大宅臣(オオヤケノオミ)・粟田臣(アワタノオミ)・小野臣(オノノオミ)・柿本臣(カキノモトノオミ)・壱比韋臣(イチヒイノオミ)・大阪臣(オオサカノオミ)・阿那臣(アナノオミ)・多紀臣(タキノオミ)・羽栗臣(ハクリノオミ)・知多臣(チタノオミ)・牟邪臣(ムサノオミ)・都怒山臣(ツヌヤマノオミ)・伊勢の飯高君(イセノイイタカノキミ キミは姓)・壱師君(イチシノキミ)・近淡海の国造(チカツオウミノクニノミヤツコ クニノミヤツコは姓 また近淡海は近江のこと)の祖

  大倭帯日子国押人命(オオヤマトタラシヒコクニオシヒトノミコト 考安天皇)の段の記述から、忍鹿比売命(オシカヒメノミコト)という娘がいる可能性がある

・大倭帯日子国押人命(オオヤマトタラシヒコクニオシヒトノミコト)

  御真津日子訶恵志泥命(ミマツヒコカエシネノミコト 孝昭天皇)余曾多本毘売命(ヨソタホビメノミコト)の二番目の子

  姪である忍鹿比売命(オシカヒメノミコト)を妻にして、大吉備諸進命(オオキビノモロススミノミコト)大倭根子日子賦斗迩命(オオヤマトネコヒコフトニノミコト)を生んだ

  別名に考安天皇(コウアンテンノウ)がある

  葛城の室の秋津島宮(アキヅシマノミヤ 奈良県御所市室)にて、天下を治めた

  考安天皇の寿命は百二十三歳で、御陵は玉手岡(タマデノオカ)の辺(奈良県御所市玉手付近の円墳)にある

・忍鹿比売命(オシカヒメノミコト)

  大倭帯日子国押人命(オオヤマトタラシヒコクニオシヒトノミコト 考安天皇)の姪〔天押帯日子命(アメオシタラシヒコノミコト)の子の可能性がある〕

  大倭帯日子国押人命(考安天皇)を夫にして、大吉備諸進命(オオキビノモロススミノミコト)大倭根子日子賦斗迩命(オオヤマトネコヒコフトニノミコト)を生んだ

 

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