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日本の神々-古事記編-崇神天皇

ここでは崇神天皇を中心に記述をまとめる

以下簡略化した家系図のオレンジ、黄色、水色で囲った部分を、それぞれ第一第二第三グループとして、分けて書いているので参考にしてほしい

崇神天皇 家系図

※括弧付きの数字は記事番号で、この記事外の時系列(原典表記順)で、その神についての説明があった場合に、説明の前に付けてある 時系列で追っていきたい場合はその部分は読み飛ばすことを推奨する

表記は当該、配偶者、配偶者の近縁、当該の子の順

第一グループ(オレンジ)

・御真木入日子印恵命(ミマキイリヒコイニエノミコト)

  若倭根子日子大毘毘命(ワカヤマトネコヒコオオビビノミコト 開花天皇)伊迦賀色許売命(イカガシコメノミコト)の一番目の子

  遠津年魚目目微比売(トオツアユメマクワシヒメ)を妻に、豊木入日子命(トヨキイリヒコノミコト)豊鉏入日売命(トヨスキイリヒメノミコト)を生んだ

  意富阿麻比売(オオアマヒメ)を妻に、大入杵命(オオイリキノミコト)八尺入日子命(ヤサカノイリヒコノミコト)沼名木之入日売命(ヌナキノイリヒメノミコト)十市之入日売命(トオチノイリヒメノミコト)の四柱を生んだ

  従妹の御真津比売命(ミマツヒメノミコト)を妻に、伊玖米入日子伊沙知命(イクメイリヒコイサチノミコト)、伊邪能真若命(イザノマワカノミコト)国片比売命(クニカタヒメノミコト)千千都久和比売命(チヂツクワヒメノミコト)伊賀比売命(イガヒメノミコト)倭日子命(ヤマトヒコノミコト)の六柱を生んだ

  別名に崇神天皇(スジンテンノウ)、初国知らしし御真木天皇(ハツクニシラシシミマキノスメラミコト)がある

  師木の水垣宮(シキノミズカキノミヤ 奈良県桜井市金屋の志貴御県坐神社付近))にて、天下を治めた

  崇神天皇は戌寅の年の十二月に百六十八歳で崩御し、その御陵は山辺道(ヤマノヘノミチ)の勾岡(マガリノオカ)の辺り(奈良県天理市柳本町の前方後円墳)にある

  疫病鎮め

  崇神天皇の御世に疫病が流行って、人民が絶えてしまいそうになったことがあった。

  これを憂いて、天皇は神牀(カムトコ 神意を聞くための寝床)で休み、神託を受けることにした。その夜、大物主神(オオモノヌシノカミ)が夢に現れ、この疫病は自分が引き起こしたもので、意富多々泥古(オオタタネコ)に自分を祀らせるのならば、疫病は終息し国も安らかになると言った。

  そこで崇神天皇は早馬の使者を四方に出して、その名前の者を探させ、しばらくすると、河内国(大阪府の一部)の美努村(ミノノムラ 大阪府八尾市上之島町付近)で見付かった。

  この者は自身を大物主神の子孫であると述べ、これを聞いた崇神天皇は人民が助かり繁栄することを確信して喜んで、意富多々泥古を神主にし、御諸山(ミモロヤマ 三輪山)で大物主神を祀らせた。

  また伊迦賀色許男命(イカガシコオノミコト)に命じて、天之八十平瓮(多数の神聖な土器)を作らせ、祀るべき天つ神国つ神の社を定めさせた。

  そして宇陀の墨坂神大阪神にはそれぞれ赤色と黒色の楯と矛を供え、他の神々に対しても、坂の上の神や河の瀬の神に至るまで一柱も漏らすことなく、供え物を献上した。

  これによって、疫病は終息して国は安らかになった。

  平定のための派遣

  崇神天皇の御世に行われた、まつろわぬ者(帰順しない神や民 相手の神を祀らないという意味)の平定として、大毘古命(オオビコノミコト)の高志道(コシノミチ 北陸地方)への派遣、建沼河別命(タケヌナカワワケノミコト)の東方十二道(ヒムカシノカタトオアマリフタミチ 伊勢から陸奥までの十二国)への派遣、また日子坐王(ヒコイマスノミコ)による丹波国(タニワノクニ 京都府北部)での玖賀耳之御笠(クガミミノミカサ)の討伐がある。

  大毘古命とその息子である建沼河別命は、それぞれの平定の最中にばったりと会うという出来事(詳細)も挟みつつ、それぞれの命じられた範囲を平定してから、崇神天皇の元に戻り報告をした。このようにして国は平穏になり、人民は栄えた。

  建波迩安王の反逆

  大毘古命が高志国へ向かう途中に聞いた歌を、建波迩安王(タケハニヤスノミコ)の反逆を暗示するものとした崇神天皇は、これを討伐すべく大毘古命と日子国夫玖命(ヒコクニブクノミコト)を山城へと向かわせた。そして大毘古命は建波迩安王の軍勢を撃ち滅ぼし、その後元の派遣先へと向かった。

  →詳細は大毘古命の記事へ

  初国知らしし天皇

  人民が栄えたこともあり、崇神天皇の御世において、初めて税を徴収することとなった。男からは狩猟で得たもの(弓端之調 ユハズノミツギ)、女からは手先で作った糸や織物など(手末之調 タナスエノミツギ)を貢納させた。

  このことにより、崇神天皇は国家的な支配をした初めての天皇となり、初国知らしし御真木天皇(ミマキノスメラミコト)と呼ばれた。

  また依網池(ヨサミノイケ 大阪府住吉区庭井辺)と軽の酒折池(カルノサカオリノイケ 奈良県橿原市大軽町)を作った。

第二グループ(黄色)

・遠津年魚目目微比売(トオツアユメマクワシヒメ)

  木の国(後の紀伊国)造〔キノクニノミヤツコ ミヤツコは姓(カバネ 一種の称号)〕である荒河刀弁(アラカワトベ)の娘

  御真木入日子印恵命(ミマキイリヒコイニエノミコト 崇神天皇)を夫に、豊木入日子命(トヨキイリヒコノミコト)豊鉏入日売命(トヨスキイリヒメノミコト)を生んだ

・荒河刀弁(アラカワトベ)

  木の国(後の紀伊国)造〔キノクニノミヤツコ ミヤツコは姓(カバネ 一種の称号)〕で、遠津年魚目目微比売(トオツアユメマクワシヒメ)の父

  崇神天皇の義父

・意富阿麻比売(オオアマヒメ)

  尾張の連〔オワリノムラジ ムラジは姓(カバネ 一種の称号)〕の祖

  御真木入日子印恵命(ミマキイリヒコイニエノミコト 崇神天皇)を夫に、大入杵命(オオイリキノミコト)八坂入日子命(ヤサカノイリヒコノミコト)沼名木之入日売命(ヌナキノイリヒメノミコト)十市之入日売命(トオチノイリヒメノミコト)の四柱を生んだ

・御真津比売命(ミマツヒメノミコト)

  開花天皇の兄である大毘古命(オオビコノミコト)の娘

  従兄の御真木入日子印恵命(ミマキイリヒコイニエノミコト 崇神天皇)を夫に、伊玖米入日子伊沙知命(イクメイリヒコイサチノミコト)、伊邪能真若命(イザノマワカノミコト)国片比売命(クニカタヒメノミコト)千千都久和比売命(チヂツクワヒメノミコト)伊賀比売命(イガヒメノミコト)倭日子命(ヤマトヒコノミコト)の六柱を生んだ

  崇神天皇の兄妹に同名の神がいる

第三グループ(水色)

・豊木入日子命(トヨキイリヒコノミコト)

  御真木入日子印恵命(ミマキイリヒコイニエノミコト 崇神天皇)遠津年魚目目微比売(トオツアユメマクワシヒメ)の一番目の子

  上毛野君〔カミツケノキミ キミは姓(カバネ 一種の称号)〕、下毛野君(シモツケノキミ)らの祖

・豊鉏入日売命(トヨスキイリヒメノミコト)

  御真木入日子印恵命(ミマキイリヒコイニエノミコト 崇神天皇)遠津年魚目目微比売(トオツアユメマクワシヒメ)の二番目の子

  伊勢の神宮に仕えて祀った

・大入杵命(オオイリキノミコト)

  御真木入日子印恵命(ミマキイリヒコイニエノミコト 崇神天皇)意富阿麻比売(オオアマヒメ)の一番目の子で、能登臣〔ノトノオミ オミは姓(カバネ 一種の称号)〕の祖

・八尺入日子命(ヤサカノイリヒコノミコト)

  御真木入日子印恵命(ミマキイリヒコイニエノミコト 崇神天皇)意富阿麻比売(オオアマヒメ)の二番目の子

・沼名木之入日売命(ヌナキノイリヒメノミコト)

  御真木入日子印恵命(ミマキイリヒコイニエノミコト 崇神天皇)意富阿麻比売(オオアマヒメ)の三番目の子

・十市之入日売命(トオチノイリヒメノミコト)

  御真木入日子印恵命(ミマキイリヒコイニエノミコト 崇神天皇)意富阿麻比売(オオアマヒメ)の四番目の子

・伊玖米入日子伊沙知命(イクメイリヒコイサチノミコト)

  御真木入日子印恵命(ミマキイリヒコイニエノミコト 崇神天皇)御真津比売命(ミマツヒメノミコト)の一番目の子

  別名に垂仁天皇がある

  詳しくはこちらの記事へ

・伊邪能真若命(イザノマワカノミコト)

  御真木入日子印恵命(ミマキイリヒコイニエノミコト 崇神天皇)御真津比売命(ミマツヒメノミコト)の二番目の子

・国片比売命(クニカタヒメノミコト)

  御真木入日子印恵命(ミマキイリヒコイニエノミコト 崇神天皇)御真津比売命(ミマツヒメノミコト)の三番目の子

・千千都久和比売命(チヂツクワヒメノミコト)

  御真木入日子印恵命(ミマキイリヒコイニエノミコト 崇神天皇)御真津比売命(ミマツヒメノミコト)の四番目の子

・伊賀比売命(イガヒメノミコト)

  御真木入日子印恵命(ミマキイリヒコイニエノミコト 崇神天皇)御真津比売命(ミマツヒメノミコト)の五番目の子

・倭日子命(ヤマトヒコノミコト)

  御真木入日子印恵命(ミマキイリヒコイニエノミコト 崇神天皇)御真津比売命(ミマツヒメノミコト)の六番目の子

  この王が死んだときに初めて、葬る陵の周囲に人を並べて埋める人垣(所謂殉死)が立てられた

 

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