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日本の神々-古事記編-垂仁天皇の系譜

ここでは垂仁天皇の子(景行天皇を除く)についての記述をまとめる

・本牟智和気御子(ホムチワケノミコ)

  垂仁天皇沙本毘売命(サホビメノミコト)の子

  肥長比売(ヒナガヒメ)と結婚する

  初出では品牟都和気命(ホムツワケノミコト)と表記された

  物言わぬ御子

  垂仁天皇によって大事に育てられた本牟智和気御子だったが、成長しても言葉を話さなかった。このことを憂いていた垂仁天皇は、御子が興味を示した白鳥を捕まえさせるなど、御子が口を利けるようにと取り計らったが効果はなかった。

  ある夜に天皇にお告げがあり、この祟りが大国主神のものであることが判明し、天皇は御子に二人の伴を付けて出雲の社に参詣させた。

  無事に参詣が済み、御子一行が出雲国の肥河(ヒノカワ 今の斐伊川)の仮の宮で休んでいるときに、御子が岐比佐都美(キヒサツミ)が作った築山を見て、「川下の山を象った飾りは、出雲の石砢の曽宮(イズモノイシクマノソノミヤ 砢は石に向が正しいようだ)に鎮座する葦原色許男大神(アシハラシコヲノオオカミ)を祀るために榊を立てた祭壇なのか」という言葉を発した。

  これを見聞きした曙立王(アケタツノミコ)菟上命(ウナカミノミコト)は御子を仮の宮から、檳榔の長穂宮(アジマサノナガホノミヤ 蒲葵のことでヤシに似ている)に移動させ、垂仁天皇へ報告の使者を出した。

  本牟智和気御子はここで肥長比売(ヒナガヒメ)と結婚するも、その正体が蛇であることを知り逃げ出し、追ってくる肥長比売を振り切って都へと帰還した。 

  垂仁天皇は御子が言葉を話したという報告を受けた後、大国主神の社を建設させた。

  →詳細は垂仁天皇の記事の物言わぬ御子の段へ

・印色之入日子命(イニシキノイリヒコノミコト)

  垂仁天皇氷羽州比売命(ヒバスヒメノミコト)の一番目の子

  血沼池(チヌノイケ 大阪府泉佐野市下瓦屋付近)、狭山池(大阪府大阪狭山市)、日下の高津池(クサカノタカツノイケ 大阪府東大阪市日下町)を作った。

  また鳥取の河上宮(カワカミノミヤ 大阪府阪南市)で大刀を千振り作って、石上神宮(奈良県天理市布留町)に治めた。その後河上宮に属する河上部の民を定めた。

・大帯日子淤斯呂和気命(オオタラシヒコオシロワケノミコト)

  垂仁天皇氷羽州比売命(ヒバスヒメノミコト)の二番目の子

  別名に景行天皇がある

  詳しくはこちらの記事へ

・大中津日子命(オオナカツヒコノミコト)

  垂仁天皇氷羽州比売命(ヒバスヒメノミコト)の三番目の子

  山辺之別〔ヤマノベノワケ ワケは姓(カバネ 一種の称号)〕、三枝之別(サキクサノワケ)、稲木之別(イナキノワケ)、阿太之別(アダノワケ)、尾張国の三野別、吉備の石无之別(キビノイワナシノワケ)、許呂母之別(コロモノワケ)、高巣鹿之別(タカスカノワケ)、飛鳥君(アスカノキミ)、牟礼之別(ムレノワケ)らの祖

・倭比売命(ヤマトヒメノミコト)

  垂仁天皇氷羽州比売命(ヒバスヒメノミコト)の四番目の子

  伊勢神宮で仕え祀った

・若木入日子命(ワカキイリヒコノミコト)

  垂仁天皇氷羽州比売命(ヒバスヒメノミコト)の五番目の子

・沼帯別命(ヌタラシワケノミコト)

  垂仁天皇と沼羽田之入毘売命(ヌバタノイリビメノミコト)の一番目の子

・伊賀帯日子命(イガタラシヒコノミコト)

  垂仁天皇と沼羽田之入毘売命(ヌバタノイリビメノミコト)の二番目の子

・伊許婆夜和気命(イコバヤワケノミコト)

  垂仁天皇と阿邪美能伊理毘売命(アザミノイリビメノミコト)の一番目の子

  沙本の穴太部之別〔サホノアナホベノワケ ワケは姓(カバネ 一種の称号)〕の祖

・阿邪美都比売命(アザミツヒメノミコト)

  垂仁天皇と阿邪美能伊理毘売命(アザミノイリビメノミコト)の二番目の子で、稲瀬毘古王(イナセビコノミコ)の妻

・稲瀬毘古王(イナセビコノミコ)

  阿邪美都比売命(アザミツヒメノミコト)の夫で、垂仁天皇の義息子

・袁邪弁王(オザベノミコ)

  垂仁天皇と迦具夜比売命(カグヤヒメノミコト)の子

・落別王(オチワケノミコ)

  垂仁天皇と苅羽田刀弁(カリハタトベ)の一番目の子

  小月の山君〔オツキノヤマノキミ キミは姓(カバネ 一種の称号)〕、三川の衣君(ミカワノコロモノキミ)の祖

・五十日帯日子王(イカタラシヒコノミコ)

  垂仁天皇と苅羽田刀弁(カリハタトベ)の二番目の子

  春日の山君〔カスガノヤマノキミ キミは姓(カバネ 一種の称号)〕、高志の池君(コシノイケノキミ)、春日部君(カスカベノキミ)の祖

・伊登志別王(イトシワケノミコ)

  垂仁天皇と苅羽田刀弁(カリハタトベ)の三番目の子

  自身の子がいなかったので、その代わりとして伊登志部(イトシベ)の民を定めた

・石衝別王(イワツクワケノミコ)

  垂仁天皇と弟苅羽田刀弁(オトカリハタトベ)の一番目の子

  羽咋君〔ハクイノキミ キミは姓(カバネ 一種の称号)〕、三尾君(ミオノキミ)の祖

・石衝毘売命(イワツクビメノミコト)

  垂仁天皇と弟苅羽田刀弁(オトカリハタトベ)の二番目の子で、倭建命の妻

  別名に布多遅能伊理毘売命(フタジノイリビメノミコト)がある

 

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