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日本の神々-古事記編-孝霊天皇

ここでは孝霊天皇を中心に記述をまとめる

以下の簡略化した家系図のオレンジと黄色で囲った部分を、それぞれ第一第二グループとして、分けて書いているので参考にしてほしい

孝霊天皇 家系図

※括弧付きの数字は記事番号で、この記事外の時系列(原典表記順)で、その神についての説明があった場合に、説明の前に付けてある

時系列で追っていきたい場合はその部分は読み飛ばすことを推奨する

表記は基本的に当該、配偶者、配偶者の近縁、当該の子の順

第一グループ(オレンジ)

・大吉備諸進命(オオキビノモロススミノミコト)

  大倭帯日子国押人命(オオヤマトタラシヒコクニオシヒトノミコト 考安天皇)忍鹿比売命(オシカヒメノミコト)の一番目の子で孝霊天皇(コウレイテンノウ)の兄

・大倭根子日子賦斗迩命(オオヤマトネコヒコフトニノミコト)

  大倭帯日子国押人命(オオヤマトタラシヒコクニオシヒトノミコト 考安天皇)忍鹿比売命(オシカヒメノミコト)の二番目の子

  細比売命(クワシヒメノミコト)を妻にして、大倭根子日子国玖琉命(オオヤマトネコヒコクニクルノミコト)を生み、また春日千々速真若比売(カスガノチヂハヤマワカヒメ)を妻にして、千々速比売命(チヂハヤヒメノミコト)を生んだ

  意富夜麻登玖迩阿礼比売命(オオヤマトクニアレヒメノミコト 蠅伊呂泥)を妻にして、夜麻登登母母曾毘売命(ヤマトトモモソビメノミコト)日子刺肩別命(ヒコサシカタワケノミコト)比古伊佐勢理毘古命(ヒコイサセリビコノミコト)倭飛羽矢若屋比売(ヤマトトビハヤワカヤヒメ)の四柱を生んだ

  蠅伊呂杼(ハエイロド)を妻にして、日子寤間命(ヒコサメマノミコト)若日子建吉備津日子命(ワカヒコタケキビツヒコノミコト)を生んだ

  別名に孝霊天皇(コウレイテンノウ)がある

  黒田の廬戸宮(クロダノイオトノミヤ 奈良県磯城郡田原本町黒田付近)にて、天下を治めた

  孝霊天皇の寿命は百六歳で、御陵は片岡の馬坂の辺り(奈良県北葛城郡王寺町王子片岡山付近)にある

・細比売命(クワシヒメノミコト)

  大目(オオメ)の娘

  大倭根子日子賦斗迩命(オオヤマトネコヒコフトニノミコト 孝霊天皇)を夫にして、大倭根子日子国玖琉命(オオヤマトネコヒコクニクルノミコト 孝元天皇)を生んだ

・大目(オオメ)

  細比売命(クワシヒメノミコト)の父で、孝霊天皇の義父

  十市県主〔トオチノアガタヌシ アガタヌシは姓(カバネ 一種の称号)〕の祖

・春日千々速真若比売(カスガノチヂハヤマワカヒメ)

  大倭根子日子賦斗迩命(オオヤマトネコヒコフトニノミコト 孝霊天皇)を夫にして、千々速比売命(チヂハヤヒメノミコト)を生んだ

・蠅伊呂泥(ハエイロネ)

  懿徳天皇の甥(姪)である和知都美命(ワチツミノミコト)の上の娘

  大倭根子日子賦斗迩命(オオヤマトネコヒコフトニノミコト 孝霊天皇)を夫にして、夜麻登登母母曾毘売命(ヤマトトモモソビメノミコト)日子刺肩別命(ヒコサシカタワケノミコト)比古伊佐勢理毘古命(ヒコイサセリビコノミコト)倭飛羽矢若屋比売(ヤマトトビハヤワカヤヒメ)の四柱を生んだ

  別名に意富夜麻登玖迩阿礼比売命(オオヤマトクニアレヒメノミコト)がある(おそらく孝霊天皇の后になってからの名前)

・蠅伊呂抒(ハエイロド)

  懿徳天皇の甥(姪)である和知都美命(ワチツミノミコト)の下の娘

  大倭根子日子賦斗迩命(オオヤマトネコヒコフトニノミコト 孝霊天皇)を夫にして、日子寤間命(ヒコサメマノミコト)若日子建吉備津日子命(ワカヒコタケキビツヒコノミコト)を生んだ

第二グループ(黄色)

・大倭根子日子国玖琉命(オオヤマトネコヒコクニクルノミコト)

  大倭根子日子賦斗迩命(オオヤマトネコヒコフトニノミコト 孝霊天皇)細比売命(クワシヒメノミコト)の子

  別名に孝元天皇がある

  詳しくはこちらの記事へ

・千々速比売命(チヂハヤヒメノミコト)

  大倭根子日子賦斗迩命(オオヤマトネコヒコフトニノミコト 孝霊天皇)春日千々速真若比売(カスガノチヂハヤマワカヒメ)の子

・夜麻登登母母曾毘売命(ヤマトトモモソビメノミコト)

  大倭根子日子賦斗迩命(オオヤマトネコヒコフトニノミコト 孝霊天皇)意富夜麻登玖迩阿礼比売命(オオヤマトクニアレヒメノミコト)の一番目の子

・日子刺肩別命(ヒコサシカタワケノミコト)

  大倭根子日子賦斗迩命(オオヤマトネコヒコフトニノミコト 孝霊天皇)意富夜麻登玖迩阿礼比売命(オオヤマトクニアレヒメノミコト)の二番目の子

  高志の利波臣〔コシノトナミノオミ オミは姓(カバネ 一種の称号)〕・豊国の国前臣(トヨクニノクニサキノオミ)・五百原君(イオハラノキミ キミは姓)・角鹿の海直(ツヌカノアマノアタエ アタエは姓)らの祖

・比古伊佐勢理毘古命(ヒコイサセリビコノミコト)

  大倭根子日子賦斗迩命(オオヤマトネコヒコフトニノミコト 孝霊天皇)意富夜麻登玖迩阿礼比売命(オオヤマトクニアレヒメノミコト)の三番目の子で、吉備の上道臣〔キビノカミツミチノオミ オミは姓(カバネ 一種の称号)〕の祖

  別名に大吉備津日子命(オオキビツヒコノミコト)がある

  兄弟である若日子建吉備津日子命(ワカヒコタケキビツヒコノミコト)と共に、針間(播磨国のことで今の兵庫県)の氷河の岬(兵庫県加古川市加古川町の加古川沿いの氷丘)にて、忌瓮(イワイヘ 神酒を入れた甕)を供え神を祀った後、針間を入り口として吉備国(今の岡山県と広島県の東部)へ入り、ここを平定した

・倭飛羽矢若屋比売(ヤマトトビハヤワカヤヒメ)

  大倭根子日子賦斗迩命(オオヤマトネコヒコフトニノミコト 孝霊天皇)意富夜麻登玖迩阿礼比売命(オオヤマトクニアレヒメノミコト)の四番目の子

・日子寤間命(ヒコサメマノミコト)

  大倭根子日子賦斗迩命(オオヤマトネコヒコフトニノミコト 孝霊天皇)蠅伊呂杼(ハエイロド)の一番目の子で、播磨の牛鹿臣〔ハリマノウシカノオミ オミは姓(カバネ 一種の称号)〕の祖

・若日子建吉備津日子命(ワカヒコタケキビツヒコノミコト)

  大倭根子日子賦斗迩命(オオヤマトネコヒコフトニノミコト 孝霊天皇)蠅伊呂杼(ハエイロド)の二番目の子で、吉備の下道臣〔キビノシモツミチノオミ オミは姓(カバネ 一種の称号)〕と笠臣(カサノオミ)の祖

  兄弟である比古伊佐勢理毘古命(ヒコイサセリビコノミコト)と共に、針間(播磨国のことで今の兵庫県)の氷河の岬(兵庫県加古川市加古川町の加古川沿いにあった氷丘)に赴いて、忌瓮(イワイヘ 神酒を入れた甕)を供え神を祀った後、針間を入り口として吉備国(今の岡山県と広島県の東部)へ入り、ここを平定した

 

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