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日本の神々-古事記編-孝元天皇

ここでは孝元天皇を中心に記述をまとめる

以下の簡略化した家系図のオレンジと黄色で囲った部分を、それぞれ第一第二グループとして、分けて書いているので参考にしてほしい

孝元天皇 家系図

※括弧付きの数字は記事番号で、この記事外の時系列(原典表記順)で、その神についての説明があった場合に、説明の前に付けてある

時系列で追っていきたい場合はその部分は読み飛ばすことを推奨する

表記は基本的に当該、配偶者、配偶者の近縁、当該の子の順

第一グループ(オレンジ)

・大倭根子日子国玖琉命(オオヤマトネコヒコクニクルノミコト)

  大倭根子日子賦斗迩命(オオヤマトネコヒコフトニノミコト 孝霊天皇)細比売命(クワシヒメノミコト)の子

  内色許売命(ウツシコメノミコト)を妻にして、大毘古命(オオビコノミコト)少名日子建猪心命(スクナヒコタケイゴコロノミコト)若倭根子日子大毘毘命(ワカヤマトネコヒコオオビビノミコト 開花天皇)の三柱を生んだ

  伊迦賀色許売命(イカガシコメノミコト)を妻にして、比古布都押信命(ヒコフツオシノマコトノミコト)を生み、また波迩夜須毘売(ハニヤスビメ)を妻にして、建波迩夜須毘古命(タケハニヤスビコノミコト)を生んだ

  別名に孝元天皇(コウゲンテンノウ)がある

  軽の堺原宮(カルノサカイハラノミヤ 奈良県橿原市大軽町付近)にて、天下を治めた

  孝元天皇の寿命は五十七歳で、御陵は剣池の中の岡(ツルギノイケノナカノオカ)の辺(奈良県橿原市石川町の前方後円墳)にある

・内色許売命(ウツシコメノミコト)

   内色許男命(ウツシコオノミコト)の妹で、迩芸速日命(ニギハヤヒノミコト)の子孫

  大倭根子日子国玖琉命(オオヤマトネコヒコクニクルノミコト 孝元天皇)を夫にして、大毘古命(オオビコノミコト)少名日子建猪心命(スクナヒコタケイゴコロノミコト)若倭根子日子大毘毘命(ワカヤマトネコヒコオオビビノミコト 開花天皇)の三柱を生んだ

・伊迦賀色許売命(イカガシコメノミコト)

  内色許男命(ウツシコオノミコト)の娘で、迩芸速日命(ニギハヤヒノミコト)の子孫

  大倭根子日子国玖琉命(オオヤマトネコヒコクニクルノミコト 孝元天皇)を夫にして、比古布都押信命(ヒコフツオシノマコトノミコト)を生んだ

  (30)継子である若倭根子日子大毘毘命(ワカヤマトネコヒコオオビビノミコト 開花天皇)を夫にして、御真木入日子印恵命(ミマキイリヒコイニエノミコト)御真津比売命(ミマツヒメノミコト)を生んだ

・内色許男命(ウツシコオノミコト)

  迩芸速日命(ニギハヤヒノミコト)の子孫で、穂積臣〔ホズミノオミ オミは姓(カバネ 一種の称号)〕らの祖

  妹に内色許売命、娘に伊迦賀色許売命(イカガシコメノミコト)がいて、両者とも孝元天皇の妻であるので、内色許男命は孝元天皇の義兄かつ義父になる

・波迩夜須毘売(ハニヤスビメ)

  河内の青玉の娘

  大倭根子日子国玖琉命(オオヤマトネコヒコクニクルノミコト 孝元天皇)を夫にして、建波迩夜須毘古命(タケハニヤスビコノミコト)を生んだ

  ※同名に波邇夜須毘売神(ハニヤスビメノカミ)がある

・河内の青玉(カワチノアオタマ)

  波迩夜須毘売(ハニヤスビメ)の父で、孝元天皇(コウゲンテンノウ)の義父

第二グループ(黄色)

・大毘古命(オオビコノミコト)

  大倭根子日子国玖琉命(オオヤマトネコヒコクニクルノミコト 孝元天皇)内色許売命(ウツシコメノミコト)の一番目の子で、崇神天皇の義父

  子に建沼河別命(タケヌナカワワケノミコト)比古伊那許士別命(ヒコイナコジワケノミコト)御真津比売命(ミマツヒメノミコト)がいる

  (33)平定のための派遣

  崇神天皇の御世に行われた、まつろわぬもの(帰順しない神や民 相手の神を祀らないという意味)の平定のため、高志道(コシノミチ 北陸地方)へ派遣された。

  →詳細は崇神天皇の平定のための派遣の段へ

  (33)建波迩安王の反逆

  大毘古命が高志国(北陸地方)に向かっている途中、山城の幣羅坂(ヤマシロノヘラサカ 京都府木津川市市坂幣羅坂付近)にて、腰に裳(上下二部構成の服の下衣)を重ね着した少女が現れて、歌を歌った。

  「御真木入日子(ミマキイリヒコ 崇神天皇のこと)はや 御真木入日子はや 己が緒(オノガオ)を 盗み殺せむ(シセム)と 後つ戸(シリツト)よ い行き違ひ 前つ戸(マエツト)よ い行き違ひ 窺はく 知らにと 御真木入日子はや」

  (「御真木入日子や、御真木入日子よ。貴方の命を奪おうとしている人が、後ろの戸をうろうろ、正面の戸をうろうろとして、様子を窺っていることを知らずに。御真木入日子よ。」)

  この歌を聞いた大毘古命は馬を返して、少女に歌の意味を問いただすも、少女は歌を詠んだだけと取り合わず、すぐに姿を消してしまった。

  歌のことが気になる大毘古命は都に引き返して、崇神天皇に奏上した。崇神天皇は、その歌を建波迩安王(タケハニヤスノミコ)の反逆の暗示とし、大毘古命に日子国夫玖命(ヒコクニブクノミコト)を副将に付けて、その討伐を命じた。

  そして日子国夫玖命が丸迩坂(ワニザカ 奈良県天理市和爾町付近)で、忌瓮(イワイヘ 神酒を入れた甕)を供え神を祀ってから、山城に向けて出陣した。

  大毘古命の軍勢が山城の和訶羅河(ワカラガワ 木津川)に到着したとき、建波迩安王も軍勢を引き連れ、その行く手を塞ぐように対岸に布陣していて、両軍が川を挟んで睨み合う形になった。伊豆美と呼ばれる(当時)前の伊杼美(イドミ)という地名はこうした理由から付けられた。

  まず日子国夫玖命が、忌矢(イワイヤ 祈りなど呪力の籠った矢)を射かけるように敵陣へ呼びかけた。これを受けて、建波迩安王自身が日子国夫玖命に向けて撃つが中らず、その後に日子国夫玖命が建波迩安王に向かって撃ったところ命中し、建波迩安王は死傷した。

  そうして総崩れとなった軍勢を追撃して、久湏婆(クスバ)の渡し場(大阪府枚方市楠葉付近の淀川の渡し場)まで攻めたときに、敵兵は苦しみのあまり脱糞をし、褌(ハカマ)にかかった。久湏婆と呼ばれる(当時)前の屎褌(クソバカマ)という地名はこれが理由で付けられた。

  また逃げる兵の行く手を遮って斬ったところ、その死体が川に鵜のように浮いたことから、その辺りの川を鵜河(ウカワ 現在の木津川と淀川の合流地点辺り)と呼び、また敵兵を数多く斬り殺した場所を波布理曽能(ハフリソノ 京都府相楽郡精華町祝園)と呼ぶ。

  こうして大毘古命は建波迩安王の軍勢を討ち取って平定し、崇神天皇に報告を済ませてから、当初の予定通り高志国へと出発した。

  (33)息子との再会

  北陸地方を担当していた大毘古命が、その息子で伊勢から陸奥を東海道から平定していた建沼河別命(タケヌナカワワケノミコト)とばったりと会った場所が、相津(アイズ 福島県会津若松市)であり、この地名が付いたのはそういう理由からである。

  その後、大毘古命と建沼河別命はそれぞれの命じられた範囲を平定してから、崇神天皇の元に戻り報告をした。

・少名日子建猪心命(スクナヒコタケイゴコロノミコト)

  大倭根子日子国玖琉命(オオヤマトネコヒコクニクルノミコト 孝元天皇)内色許売命(ウツシコメノミコト)の二番目の子

・若倭根子日子大毘毘命(ワカヤマトネコヒコオオビビノミコト)

  大倭根子日子国玖琉命(オオヤマトネコヒコクニクルノミコト 孝元天皇)内色許売命(ウツシコメノミコト)の三番目の子

  別名に開花天皇がある

  詳しくはこちらの記事へ

・比古布都押信命(ヒコフツオシノマコトノミコト)

  大倭根子日子国玖琉命(オオヤマトネコヒコクニクルノミコト 孝元天皇)伊迦賀色許売命(イカガシコメノミコト)の子

  葛城高千那毘売(カヅラギノタカチナビメ)を妻にして、味師内宿祢(ウマシウチノスクネ)を生み、山下影日売(ヤマシタカゲヒメ)を妻にして、建内宿祢(タケウチノスクネ)を生んだ

・葛城高千那毘売(カヅラギノタカチナビメ)

  尾張連(オワリノムラジ ムラジは姓(カバネ 一種の称号)〕らの祖である意富那毘(オオナビ)の妹

  比古布都押信命(ヒコフツオシノマコトノミコト)を夫にして、味師内宿祢(ウマシウチノスクネ)を生んだ

・意富那毘(オオナビ)

  尾張連(オワリノムラジ ムラジは姓(カバネ 一種の称号)〕らの祖

  妹に葛城高千那毘売(カヅラギノタカチナビメ)がいる

・山下影日売(ヤマシタカゲヒメ)

  木(後の紀伊)国造(キノクニノミヤツコ)の祖である宇豆比古(ウズヒコ)の妹

  比古布都押信命(ヒコフツオシノマコトノミコト)を夫にして、建内宿祢(タケウチノスクネ)を生んだ

・宇豆比古(ウズヒコ)

  木(後の紀伊)国造(キノクニノミヤツコ)の祖

  娘に山下影日売(ヤマシタカゲヒメ)がいる

・建波迩夜須毘古命(タケハニヤスビコノミコト)

  大倭根子日子国玖琉命(オオヤマトネコヒコクニクルノミコト 孝元天皇)波迩夜須毘売(ハニヤスビメ)の子で、開花天皇の異母兄弟

  別名に建波迩安王(タケハニヤスノミコ)がある

  (33)崇神天皇への反逆

  崇神天皇の御世に、逆心ありとして討伐の軍勢を差し向けられる。これに応じて建波迩安王も兵を挙げ、和訶羅河(ワカラガワ 木津川)で大毘古命(オオビコノミコト)日子国夫玖命(ヒコクニブクノミコト)の軍勢と相対したが、自身は射殺され、軍勢も敗れる。

  →詳細は大毘古命の記事へ

 

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