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日本の神々-古事記編-景行天皇

ここでは景行天皇についての記述をまとめる

・大帯日子淤斯呂和気命(オオタラシヒコオシロワケノミコト)

  垂仁天皇氷羽州比売命(ヒバスヒメノミコト)の二番目の子。

   纏向の日代宮(マキムクノヒシロノミヤ 奈良県桜井市穴師付近)にて、天下を治めた。別名に景行天皇(ケイコウテンノウ)がある。

  配偶者及び子

  針間の伊那毘大郎女(ハリマノイナビノオオイラツメ)を妻に、櫛角別王(クシツノワケノミコ)・大碓命(オオウスノミコト)・小碓命(オウスノミコト)・倭根子命(ヤマトネコノミコト)・神櫛王(カムクシノミコ)の五柱を生んだ。

  八坂入日売命(ヤサカノイリヒメノミコト)を妻に、若帯日子命(ワカタラシヒコノミコト)・五百木入日子命(イオキノイリヒコノミコト)・押別命(オシワケノミコト)・五百木入日売命(イオキノイリヒメノミコト)の四柱を生んだ。

  日向の美波迦斯毘売(ヒムカノミワカシビメ)を妻に、豊国別王(トヨクニワケノミコ)を生み、伊那毘若郎女(イナビノワカイラツメ)を妻に、真若王(マワカノミコ)と日子人大兄王(ヒコヒトノオオエノミコ)を生んだ。

  訶具漏比売(カグロヒメ)を妻にして大枝王(オオエノミコ)を生んだ。

  また、子に豊戸別王(トヨトワケノミコ)と沼代郎女(ヌノシロノイラツメ)、加えて沼名木郎女(ヌナキノイラツメ)・香余理比売命(カゴヨリヒメノミコト)・若木入日子王(ワカキイリヒコノミコ)・吉備兄日子王(キビノエヒコノミコ)・高木比売命(タカキヒメノミコト)・弟比売命(オトヒメノミコト)がいて、記録に残っていない子も五十九柱いる。

  若帯日子命・小碓命(倭建命のこと)・五百木入日子命の三柱には後継者たる太子(ヒツギノミコ ヒツギは霊位を継ぐこと)の名を与え、他の七十七柱には諸国の統治を任せた。

  業績

  この天皇の御世に田部(タベ 米を作る農民集団)、膳大伴部(カシワデノオオトモベ 宮廷の食事を司る集団)、大和の屯家(ヤマトノミヤケ 天皇直轄の穀倉地域で上納された穀物を治める倉もあった)を定め、東国の安房の港(現在の館山湾)、坂手池(サカテノイケ 奈良県磯城郡田原本町阪手付近)を作り、竹を植えてその池の堤防を保護した。

  景行天皇は百三十七歳で崩御し、その御陵は山辺の道(奈良県天理市渋谷町向山付近の前方後円墳)にある。

 ・大碓命の謀り

  神大根王の娘である兄比売(エヒメ)弟比売(オトヒメ)の容貌が優れていると聞いた景行天皇は、妻にしようと息子の大碓命(オオウスノミコト)を派遣した。

  しかし大碓命は天皇に召し上げずに自分が結婚し、天皇には似た娘を偽って召し上げた。天皇はそのことに気が付き、その娘らとは結婚せずに一度も手を出さなかった。

 ・小碓命への勅令

  天皇は兄を殺した小碓命の凶暴性を恐れて、都から遠ざけようと、東へ西へと遠征させた。小碓命はそれらの旅で、熊曾建(クマソタケル クマソは九州南部の地名でタケルは不服従を含む強いの意)や出雲建(イズモタケル)を初め、多くの山や河のまつろわぬ者を討伐し、最期には旅の途中で死んだ。

  →詳細は倭建命の記事へ

・針間の伊那毘大郎女(ハリマノイナビノオオイラツメ)

  吉備臣〔キビノオミ オミは姓(カバネ 一種の称号)〕の祖先である若建吉備津日子(ワカタケキビツヒコ)の娘。

  大帯日子淤斯呂和気命(オオタラシヒコオシロワケノミコト 景行天皇)を夫に、櫛角別王(クシツノワケノミコ)・大碓命(オオウスノミコト)・小碓命(オウスノミコト)・倭根子命(ヤマトネコノミコト)・神櫛王(カムクシノミコ)の五柱を生んだ。

・若建吉備津日子(ワカタケキビツヒコ)

  吉備臣〔キビノオミ オミは姓(カバネ 一種の称号)〕の祖で、景行天皇の義父。

  娘に伊那毘大郎女(ハリマノイナビノオオイラツメ)と伊那毘若郎女(イナビノワカイラツメ)がおり、両名とも景行天皇の妻になった。

・八坂入日売命(ヤサカノイリヒメノミコト)

  八尺入日子命(ヤサカノイリヒコノミコト)の娘で、崇神天皇の孫。

  大帯日子淤斯呂和気命(オオタラシヒコオシロワケノミコト 景行天皇)を夫に、若帯日子命(ワカタラシヒコノミコト)・五百木入日子命(イオキノイリヒコノミコト)・押別命(オシワケノミコト)・五百木入日売命(イオキノイリヒメノミコト)の四柱を生んだ。

・日向の美波迦斯毘売(ヒムカノミワカシビメ)

  大帯日子淤斯呂和気命(オオタラシヒコオシロワケノミコト 景行天皇)を夫に、豊国別王(トヨクニワケノミコ)を生んだ。

・伊那毘若郎女(イナビノワカイラツメ)

  吉備臣の祖先である若建吉備津日子の娘。

  大帯日子淤斯呂和気命(オオタラシヒコオシロワケノミコト 景行天皇)を夫に、真若王(マワカノミコ)と日子人大兄王(ヒコヒトノオオエノミコ)を生んだ。

・訶具漏比売(カグロヒメ)

  須売伊呂大中日子王(スメイロオオナカツヒコノミコ)の娘で、倭建命の子孫。

  大帯日子淤斯呂和気命(オオタラシヒコオシロワケノミコト 景行天皇)を夫にして、大枝王(オオエノミコ)を生んだ。

  誤記の可能性がある。

・須売伊呂大中日子王(スメイロオオナカツヒコノミコ)

  倭建命の曾孫で、景行天皇の義父。

  娘に訶具漏比売(カグロヒメ)がおり、景行天皇の妻となった。

  誤記の可能性がある。

・櫛角別王(クシツノワケノミコ)

  大帯日子淤斯呂和気命(オオタラシヒコオシロワケノミコト 景行天皇)と針間の伊那毘大郎女(ハリマノイナビノオオイラツメ)の一番目の子。

  茨田の下連〔マムタノシモノムラジ ムラジは姓(カバネ 一種の称号)〕らの祖。

・大碓命(オオウスノミコト)

  大帯日子淤斯呂和気命(オオタラシヒコオシロワケノミコト 景行天皇)と針間の伊那毘大郎女(ハリマノイナビノオオイラツメ)の二番目の子。

  守君〔モリノキミ キミは姓(カバネ 一種の称号)〕、大田君、島田君の祖。

・小碓命(オウスノミコト)

  倭建命のこと

  詳しくはこちらの記事へ

・倭根子命(ヤマトネコノミコト)

  大帯日子淤斯呂和気命(オオタラシヒコオシロワケノミコト 景行天皇)と針間の伊那毘大郎女(ハリマノイナビノオオイラツメ)の四番目の子。

・神櫛王(カムクシノミコ)

  大帯日子淤斯呂和気命(オオタラシヒコオシロワケノミコト 景行天皇)と針間の伊那毘大郎女(ハリマノイナビノオオイラツメ)の五番目の子。

  木国(紀伊の国)の酒部阿比古(キノクニノサカベノアビコ)、宇陀の酒部の祖。

・若帯日子命(ワカタラシヒコノミコト)

  大帯日子淤斯呂和気命(オオタラシヒコオシロワケノミコト 景行天皇)と八坂入日売命(ヤサカノイリヒメノミコト)の一番目の子。

  景行天皇からは、その後継者たる太子(ヒツギノミコ ヒツギは霊位を継ぐこと)の名を与えられた。太子を名乗ったのは三柱いたが、実際に天下を治めたのは若帯日子命であり、故に別名に成務天皇(セイムテンノウ)がある。

  詳しくはこちらの記事へ

・五百木入日子命(イオキノイリヒコノミコト)

  大帯日子淤斯呂和気命(オオタラシヒコオシロワケノミコト 景行天皇)と八坂入日売命(ヤサカノイリヒメノミコト)の二番目の子。

  景行天皇から、その後継者たる太子(ヒツギノミコ ヒツギは霊位を継ぐこと)の名を与えられた。

・押別命(オシワケノミコト)

  大帯日子淤斯呂和気命(オオタラシヒコオシロワケノミコト 景行天皇)と八坂入日売命(ヤサカノイリヒメノミコト)の三番目の子。

・五百木入日売命(イオキノイリヒメノミコト)

  大帯日子淤斯呂和気命(オオタラシヒコオシロワケノミコト 景行天皇)と八坂入日売命(ヤサカノイリヒメノミコト)の四番目の子。

・豊国別王(トヨクニワケノミコ)

  大帯日子淤斯呂和気命(オオタラシヒコオシロワケノミコト 景行天皇)と日向の美波迦斯毘売(ヒムカノミワカシビメ)の子。

  日向の国造〔ヒムカノクニノミヤツコ ミヤツコは姓(カバネ 一種の称号)〕 の祖。

・真若王(マワカノミコ)

  大帯日子淤斯呂和気命(オオタラシヒコオシロワケノミコト 景行天皇)と伊那毘若郎女(イナビノワカイラツメ)の一番目の子。

・日子人大兄王(ヒコヒトノオオエノミコ)

  大帯日子淤斯呂和気命(オオタラシヒコオシロワケノミコト 景行天皇)と伊那毘若郎女(イナビノワカイラツメ)の二番目の子。

・大枝王(オオエノミコ)

  大帯日子淤斯呂和気命(オオタラシヒコオシロワケノミコト 景行天皇)と訶具漏比売(カグロヒメ)の子。

 

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