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日本の神々-古事記編-開花天皇の系譜-後

ここでは崇神天皇を除く開花天皇の子孫についての記述をまとめる

以下の簡略化した家系図のオレンジ、黄色、水色で囲った部分を、それぞれ第一第二第三グループとして、分けて書いているので参考にしてほしい

開花天皇の子孫2 家系図

※括弧付きの数字は記事番号で、この記事外の時系列(原典表記順)で、その神についての説明があった場合に、説明の前に付けてある 時系列で追っていきたい場合はその部分は読み飛ばすことを推奨する

表記は基本的に当該、配偶者、配偶者の近縁、当該の子の順

第一グループ(オレンジ)

・曙立命(アケタツノミコト)

  大俣王(オオマタノミコ)の一番目の子で、開花天皇の曾孫

  伊勢の品遅部君〔イセノホムヂベノキミ キミは姓(カバネ 一種の称号)〕と伊勢の佐那造(イセノサナノミヤツコ ミヤツコは姓)の祖

・菟上命(ウナカミノミコト)

  大俣王(オオマタノミコ)の二番目の子で、開花天皇の曾孫

  比売陀君〔ヒメダノキミ キミは姓(カバネ 一種の称号)〕の祖

第二グループ(黄色)

・比婆須比売命(ヒバスヒメノミコト)

  丹波比古多多湏美知能宇斯王(タニワノヒコタタスミチノウシノミコ)丹波河上摩須郎女(タニワノカワカミノマスノイラツメ)の一番目の子で、開花天皇の曾孫、また垂仁天皇の后

  垂仁天皇を夫にして、印色之入日子命(イニシキノイリヒコノミコト)、大帯日子淤斯呂和気命(オオタラシヒコオシロワケノミコト)、大中津日子命(オオナカツヒコノミコト)倭比売命(ヤマトヒメノミコト)若木入日子命(ワカキイリヒコノミコト)の五柱を生んだ

  氷羽州比売命と表記されることがあり、兄比売(エヒメ)とも記述されている。

  御陵は狭木の寺間の陵(サキノテラマノミサザキ 奈良県奈良市山陵町御陵前付近)にある

  またこの皇后のの薨去時に、石棺を作る役割をもつ石棺作(イシキツクリ)の民、埴輪など葬送儀礼用の土器を作る役割をもつ土師部(ハニシベ)の民が定められた

  (38)垂仁天皇との婚姻

  沙本毘売命(サホビメノミコト)に推薦されて、垂仁天皇の后となった。

  →詳細は垂仁天皇-前の記事の沙本毘古王の反逆の段へ

  (39)時じくのかくの木の実

  垂仁天皇は多遅摩毛理(タジマモリ)に命じて、時じくのかくの木の実(四季を通じて実る香り高い木の実 橘のこととされる)を常世国まで取りに行かせた。多遅摩毛理は見事持ち帰ったが、そのときには既に天皇は崩御していたので、半分を比婆須比売命に献上し、もう半分を天皇の御陵の入り口に供えた。

  →詳細は垂仁天皇-後の時じくのかくの木の実の段へ

・真砥野比売命(マトノヒメノミコト)

  丹波比古多多湏美知能宇斯王(タニワノヒコタタスミチノウシノミコ)丹波河上摩須郎女(タニワノカワカミノマスノイラツメ)の二番目の子で、開花天皇の曾孫

  垂仁天皇の段では円野比売命の表記で登場した

  (38)垂仁天皇との婚姻

  沙本毘売命(サホビメノミコト)垂仁天皇の后候補として、美知能宇斯王の娘を挙げたので、天皇に召し上げられたが、容貌が醜いとして送り返された。

  このことが世間の耳に入ることを恥じて、山城国相楽(サガラカ 京都府相楽郡)で首を吊ろうとし、乙訓(オトクニ 京都府乙訓郡周辺)で淵に落ち死んだ。

  それぞれの地名はこの話を由来としており、懸木(サガリキ)と堕国(オチクニ)の転化である。

  →詳細は垂仁天皇-前の記事の美知能宇斯王の娘たちの段へ

・弟比売命(オトヒメノミコト)

  丹波比古多多湏美知能宇斯王(タニワノヒコタタスミチノウシノミコ)丹波河上摩須郎女(タニワノカワカミノマスノイラツメ)の三番目の子で、開花天皇の曾孫、また垂仁天皇の后(※)

  (38)垂仁天皇との婚姻

  沙本毘売命(サホビメノミコト)に推薦されて、垂仁天皇の后となった。

  しかし垂仁天皇の子の欄の配偶者の部分に弟比売命の記述がないこと、弟比売自体に妹という語義があることを考えると、文中の弟比売は弟比売命を指してないとも考えられ、この場合は后ではない可能性が出てくる。が、単純に子がいなかったという可能性もあり、また上記の欄に載っており、妹の条件を満たす阿邪美能伊理毘売命(アザミノイリビメノミコト)沼羽田之入毘売命(ヌバタノイリビメノミコト)を別名として持っている可能性も考えられ、これらの場合は垂仁天皇の后といえる。

  →詳細は垂仁天皇-前の記事の沙本毘古王の反逆の段へ美知能宇斯王の娘たちの段へ

・朝庭別王(ミカドワケノミコ)

  丹波比古多多湏美知能宇斯王(タニワノヒコタタスミチノウシノミコ)丹波河上摩須郎女(タニワノカワカミノマスノイラツメ)の四番目の子で、開花天皇の曾孫

  三川の穂別〔ミカワノホノワケ ワケは姓(カバネ 一種の称号)〕の祖

・歌凝比売命(ウタコリヒメノミコト)

  美知能宇斯王(タニワノヒコタタスミチノウシノミコ)の子

  詳しくはこちらの記事へ

第三グループ(水色)

・迦迩米雷王(カニメイカズチノミコ)

  山代大筒木真若王(ヤマシロノオオツツキノマワカノミコ)丹波阿治佐波毘売(タニワノアジサハビメ)の子で、開花天皇の曾孫

  丹波遠津臣〔タニワノトオツオミ オミは姓(カバネ 一種の称号)〕の娘の高材比売〔タカキヒメ 高杙比売(タカクイビメ)とも〕を妻に、息長宿祢王(オキナガスクネノミコ)を生んだ

・高材比売(タカキヒメ)

  丹波遠津臣〔タニワノトオツオミ オミは姓(カバネ 一種の称号)〕の娘

  開花天皇の曾孫である迦邇米雷王(カニメイカズチノミコ)を夫に、息長宿祢王(オキナガスクネノミコ)を生んだ

  高杙比売(タカクイビメ)とも表記される

・丹波遠津臣(タニワノトオツオミ)

  娘に高材比売〔タカキヒメ 高杙比売(タカクイビメ)とも〕がおり、開花天皇の曾孫である迦邇米雷王(カニメイカズチノミコ)の義父

・息長宿祢王(オキナガスクネノミコ)

  迦邇米雷王(カニメイカズチノミコ)高材比売(タカキヒメ)の子で、開花天皇の子孫

  葛城高額比売(カヅラギノタカヌカヒメ)を妻に、息長帯比売命(オキナガタラシヒメノミコト)虚空津比売命(ソラツヒメノミコト)息長日子王(オキナガヒコノミコ)の三柱を生んだ

  河俣稲依毘売(カワマタノイナヨリビメ)を妻に、大多牟坂王(オオタムサカノミコ)を生んだ

・葛城高額比売(カヅラギノタカヌカヒメ)

  開花天皇の子孫である息長宿祢王(オキナガスクネノミコ)を夫に、息長帯比売命(オキナガタラシヒメノミコト)虚空津比売命(ソラツヒメノミコト)息長日子王(オキナガヒコノミコ)の三柱を生んだ

・河俣稲依毘売(カワマタノイナヨリビメ)

  開花天皇の子孫である息長宿祢王(オキナガスクネノミコ)を夫に大多牟坂王(オオタムサカノミコ)を生んだ

・息長帯比売命(オキナガタラシヒメノミコト)

  息長宿祢王(オキナガスクネノミコ)葛城高額比売(カヅラギノタカヌカヒメ)の一番目の子で、開花天皇の子孫

・虚空津比売命(ソラツヒメノミコト)

  息長宿祢王(オキナガスクネノミコ)葛城高額比売(カヅラギノタカヌカヒメ)の二番目の子で、開花天皇の子孫

・息長日子王(オキナガヒコノミコ)

  息長宿祢王(オキナガスクネノミコ)葛城高額比売(カヅラギノタカヌカヒメ)の三番目の子で、開花天皇の子孫

  吉備品備君〔キビノホムヂノキミ キミは姓(カバネ 一種の称号)〕と針間阿宗君(ハリマノアソノキミ)の祖

・大多牟坂王(オオタムサカノミコ)

  息長宿祢王(オキナガスクネノミコ)河俣稲依毘売(カワマタノイナヨリビメ)の子で、開花天皇の子孫

  多遅摩国造(タヂマノクニノミヤツコ ミヤツコは姓(カバネ 一種の称号)〕の祖

 

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