オレンジ

易(二十四)-周易六十四卦-家人・睽

六十四卦(十八)

詳しい前書きは易(六)を参照

本文の構造としては、性質の部分がその卦の性質つまりその卦に対応する物事の性質を表し、の部分が該当する物事への総合的な対処方法、の部分は卦の性質の構成物としての性質の詳細情報と、該当する物事への細かい対処方法である。

書き下し文は卦辞、爻辞のみで「中村璋八・古藤友子(1992)『周易本義』明徳出版社」を引用している。しかしその解釈文は、卦辞、爻辞、彖伝、象伝なども参考にしたものであり、また引用文とは異なった書き下し方をして解釈した部分もあるので、書き下し文と解釈文が食い違うことがあるということをご留意願いたい。

またそれぞれの卦の後ろの一言は「丸山松幸訳(1973)『易経-中国の思想第七巻-』徳間書店」の引用である。一言でその性質を分かりやすく示すとして記載したが、私の解釈とは一致していない場合もある。

37.家人(カジン)家人(風火家人 フウカカジン)家内安全

  性質

  家人は家庭を表し、柔順さを示す卦である。

  離の卦に巽の卦が載っている卦で、長女(巽)が上位に次女(離)が下位にいること、外卦と内卦それぞれで正を得る九五と六二が夫と妻を表し、中正であることから、円満な家庭を示している。

  大象は火が付いて風が起こることであり、些細なことが大事になることを示しており、これも家庭を表すものである。

  

  ・家人は、女の貞しき(タダシキ)に利し(ヨロシ)。

    ―女として正しい道を(女性的な性質の通りに)進めば良い。〔内(内卦、この卦では女)が正しければ外(外卦)も正しくなる〕

  

  ・初九、有家を閑ぐ(フセグ)。悔亡ぶ。

    ―家の状態を正しく保つ。悔いるようなことはない。(陽爻で正、志を強くもち綻びはない)

  ・六二、遂ぐるところなし。中饋(チュウキ)に在り。貞しくして吉なり。

    ―外で何かを成し遂げることはなく、家の中にいて、その務めである食事を用意する。柔順さを保てば吉である。(九五と中正、正、陰爻で女性的な性質の行動をとる)

  ・九三、家人嗃嗃(カクカク)たり。厲しき(ハゲシキ)を悔ゆれども吉なり。婦子嘻嘻(キキ)たれば、終には吝なり。

    ―厳格が過ぎる。悔いて改めれば吉だが、女子供が節度なく笑い転げるようにまでなってしまうと非難を受ける。(正、陽爻、中爻でなく剛に過ぎる)

  ・六四、家を富ます。大吉なり。

    ―家を富ます。大いに成功する。〔正、上位の陰爻(陽爻は義、陰爻は利を司る)〕

  ・九五、王、有家に仮る(イタル)。恤ふる(ウレウル)なくして吉なり。

    ―主人が家を円満に治める。憂うことはなく吉である。(六二と中正)

  ・上九、孚(マコト)ありて威如(イジョ)たれば、終には吉なり。

    ―誠意をもち、自己反省をし続けて威厳をもてば、最終的には吉である。(卦の最上位で家を治める道を説く)

38.睽(ケイ)睽(火沢睽 カタクケイ)嫁と小姑

  性質

  睽は背き合うことを示す卦である。

  兌の卦に離の卦が載っている卦で、水(沢、兌)は下に流れ、火(離)は上に昇ることから、上と下が交わることなく反対の方向に向かうことを表す。

  大象は上の火、下の沢である。

  

  ・睽は、小事には吉なり。

    ―小事を行うと成功する。(上下が正反対に背き合っているので、大きな物事に取り組むと失敗するが、六五と九二が中正であることは芯の部分では通じ合っていることを表すため、小さな物事を片付けると上手くいく)

  

  ・初九、悔亡ぶ。馬を喪ふも遂ふことなくして、自ら復る。悪人を見れば咎なし。

    ―悔いるようなことはない。馬を失うが、追わなくとも勝手に帰ってくる。たとえ相手が悪人であっても、会うことで咎めを避けることができる。(九四と不応だが、正応が背き合う状況の中では反って通じ合う)

  ・九二、主に巷に遭ふ。咎なし。

    ―君主と道端で会う。道を誤ってはいないため、咎めを受けることはない。(六五と中正、背き合う状況の中で六五と離れてしまうが、探し回った末に会うことができる)

  ・六三、輿(クルマ)を曳かる。その牛掣めらる(トドメラル)。その人天られ(カミキラレ)且つ劓らる(ハナキラル)。初めなくして終りあり。

    ―車は後ろから引き戻され、前では曳いている牛を留められる。また髪を切られ鼻を削がれる。最初は良くないが最後は良い。(二つの陽爻に挟まれている 上六と正応であり、このような状況において、最初は刑罰を受けるが、最後には通じ合う)

  ・九四、睽きて(ソムキテ)孤(ヒトリ)なり。元夫(ゲンプ)に遇ひ、交ごも(コモゴモ)孚あり。厲ぶめ(アヤブメ)ば咎なし。

    ―背いて孤立するが、立派な人に会って誠意が通じ合う。危ういが咎めを受けることはない。(不応だが、このような状況だからこそ初九と通じ合う)

  ・六五、悔亡ぶ。その宗(トモガラ)、膚(ハダエ)を噬む(カム)。往くも何の咎あらん。

    ―悔いるようなことはない。深く信頼する同族と交わる。自ら進んでいっても、喜びこそあれ何の咎めも受けることはない。(九二と中正)

  ・上九、睽きて孤なり。豕(イノコ ブタ)の塗(ドロ)を負ふを見、鬼を一車に載す。先にはこれが弧(ユミ)を張り、後にはこれが弧を説く。寇する(アダスル)にあらずして婚媾(コンコウ)せんとす。往きて雨に遇へば吉なり。

    ―背いて孤立する。相手が泥まみれの豚に見え、その車にはたくさんの幽霊が乗っているように見える。これを弓矢で射ようとするが、後に相手はこちらを害しようとしているのではなく、交流を求めていることに気付いて弓を降ろす。その疑心を雨で洗い流せば吉である。〔六三と正応だが、睽の極致であり疑心に満ちている しかし「盈つるは欠くる兆」であり、極まることで調和が始まる〕

 

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