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易(二)-易の成立

易の解説をするにあたって、まずは易の成立について説明する。

またこの記事の目的はあくまで、易の原理の解説に必要な程度の展開の説明であるので、そこまで詳しいものにはなっていない。ご了承願いたい。

易の字の成り立ち

そもそも易とは何を指していたのか。

字義の観点からこれを考えたものとして、以下の説がある。

易という字は、トカゲを象ったものであり、日の部分を頭部、勿の部分を足と尾に見立てているとされ、古い時代、トカゲは体の色を一日に十二回変える十二時虫とされていたことから、変化の象徴として扱われるようになり、トカゲを象ったこの字も「変化」「変化する」という意味をもつようになった。そしてこの変化を意味する字が、筮竹(ゼイチク 50センチほどの細く割いた竹)の数の変化による占いである占筮と結び付いて、現在のような占いとの対応関係が築かれたというものである。

また本田済は、卜筮者の一つの集団のシンボルとしてトカゲが使われており、占いの書物であった易を示す際に、その集団のシンボルが採用されたという説を提唱している。

周易の歴史

さて、易そのものの発生についての考察を見たところで、周易の歴史についてざっくりと話していく。

周易とは周代(BC1046~BC256)の使われていた易、または周を広く行き届くの意味で解釈した場合は、普遍的な易という意味になるが、この易の原型は大まかに二つの要素の結び付きによって形成された。

一つ目の要素は卦爻(詳細は次のページ)であり、その原点は河図図(上)、洛書図(下)という図とされ、河図図は黄河から出てきた馬の背に、洛書図は洛水(黄河の支流)から出てきた亀の背に描かれており、これらは卦(カ、ケ)と爻(コウ)(両方とも後で説明する)が表される以前の陰陽を表しているとされている。

これらはおそらく亀卜(キボク 亀の甲または牛骨に穴をあけてから、焼き出来たひびによって吉凶を判断する占いの一種 いずれ取り上げる)の抽象図だろう。

河図図河図図

洛書図洛書図

これらの影響の中、伏羲(フクギ BC34-31世紀ごろ)が卦と爻を作ったとされる、この卦爻という形状概念が一つ目の要素である。

二つ目の要素は、古くから(少なくとも殷や周の時代以前)に行われていた占いである亀卜と蓍筮(シゼイ メドハギという植物の茎を利用した占い、今の占筮の祖型)の内の後者と関連する。

古くから行われていたこの蓍筮という占いについて、その判断結果と対応する事実についてのデータが大量に蓄積しており、それらを記録の蓄積が筮辞(ゼイジ)と呼ばれる占筮の一覧表のようなものを形成していた。

これが二つ目の要素である。

以上二つの要素が結び付いて、より具体的には蓍筮のデータの蓄積である筮辞を分析し、それぞれに伏羲が伝えた卦と爻を当てはめ、それらを簡潔に説明したものである卦辞(カジ 彖辞ともいわれる)と爻辞(コウジ 象辞ともいわれる)を付けることで、周易の原型が形成された。

この卦辞と爻辞を合わせて経と呼び、易経では上下に分かれている。

その後、春秋戦国(BC770-BC221)の時代から前漢(BC206-AD8)の時代に、彖伝(タンデン)上下、象伝(ショウデン)上下、繋辞伝(ケイジデン)上下、文言伝(ブンゴンデン)、説卦伝(セッカデン)、序卦伝(ジョカデン)、雑卦伝(ザッカデン)が作られた。

これらは経部分の理解を助けるための、また占い書から哲学体系書とする統一的理解を助けるための十編の伝、十翼(ジュウヨク)として成立し、ここに周易の体系が整った。

十翼の内容を簡単にみていくと

・彖伝 卦辞の解釈の仕方

・象伝 六十四卦の二つの八卦(詳細は次ページ)の象による解釈と爻辞の解釈の仕方 

・繋辞伝 易を土台にした自然哲学の思想

・文言伝 乾と坤にだけ付けられた卦爻辞の儒家的解釈

・序卦伝 卦の配列の意味

・説卦伝 古代における卦爻について

・雑卦伝 卦のグループを二つに分け、双方を対称的に説明したもの

というような内容が書かれているのだが、ここでの解説では序卦伝以下三つの伝は使わないため、あまり気にする必要はない。

このような経緯を経て、後漢(AC25-220)までには、易は道理を示す哲学体系として確立し、鄭玄(テイゲン AC127-200)は「易一名而含三義。易簡一也、変易二也、不易三也。(易の字は、物事の変化の道理、不変の道理を簡単に示すという意味がある)」という解釈をするまでに至った。

易の歴史としては以上である。

 

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